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惜別
終戦記念日の前々日のこと。カミさんのおばあちゃんが亡くなりました。たとえ義理でも『祖父母』と呼べるさいごの人でした。御年99歳の大往生。激動の時代を駆け抜けた、力強くたくましい人生でした。

90を超えてから足腰が弱りはじめ、ここ数年は痴呆の症状も出るようになり、カミさんの両親がどちらも病気がちで介護も困難なため、数年ケアハウス暮らしでした。なので、最後にお会いしたのはまだ健常で、ゆっくりながらも自分の足で歩いている元気なころだったと記憶しています。カミさんはもちろん、子供たちも何度かケアハウスを訪れていたので、いっしょに行けばよかったとそれだけは後悔しています。

葬儀は終戦記念日でした。戦争で夫(つまりおじいちゃん)を亡くし、女手ひとつで子供たちを育てなければならなかった人生。誰よりも戦争の痛みを知っていました。そのおじいちゃんが亡くなったのは、昭和20年3〜4月のフィリピン・マニラ周辺(推定)。昭和19年秋に勃発した史上最大規模の海戦・比島沖海戦(日本側の作戦名・捷号作戦)の大敗により日本の連合艦隊は事実上壊滅、制海・制空権を完全に失ったフィリピンの日本軍も孤立無援となりました。翌20年にはじまったマニラ市街戦でも圧倒的な戦力差の前に日本軍は敗走、通信兵を務めていたというおじいちゃんは、その直後の混乱の中、命を失ってしまったのです。

おじいちゃんは今でもフィリピンのどこかに眠っています。おばあちゃんも大戦終結後、慰霊団に加わってマニラを訪れましたが、おじいちゃんが亡くなった日も時間も、そして遺骨がある場所も分からないままでした。おじいちゃんは出征前、生まれたばかりの唯一の男の子(つまりカミさんのお父さん)を頼むぞと言い置いて出かけていったので、おばあちゃんは悲しむ間もなくそれこそ必死で働いて、子供たちを育て上げました。そんな苦労を知るお父さんの悲しみもいかばかりかと思うのです。

お盆も過ぎて、亡くなった人々の魂も懐かしい家から神の国へ帰ってゆく頃。おばあちゃんの魂も里帰りしていたおじいちゃんの魂と久しぶりに出会い、きっと手に手を取って還っていかれたのでしょう。
| その他 | 23:38 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
コメント
大正、昭和、平成と激動の時代を生き抜いてこられた偉大な方だったんですね。天国で久しぶりの夫婦水入らず、たくさん想い出話しされてるでしょうね。
| キリン | 2011/08/23 8:44 AM |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2011/08/27 4:56 PM |
ようこそ、キリンさん。コメントありがとうございますm(_ _)m

戦争を知る世代も高齢化が進み、今やあの惨禍もはるか過去に過ぎ去ろうとしている昨今、それを直に体験した世代の方のおられる家とのご縁に巡り会えたことは、いろいろと考えさせられる機会にもなりました。自分は戦争体験世代に対して第二世代、いわゆるセカンドジェネレーションになるのですが(両親とも昭和一桁生まれ)、祖父母や父が健在だった頃に聞かされた恐ろしい体験談は今も深く心に残っています。

だからこそ、厳しく長い時を生きてこられたおばあちゃんには、もしも天国というところがあるなら、おじいちゃんといっしょに、そこで穏やかな時を過ごしていただきたいと願っています。
| いもむし | 2011/08/27 9:47 PM |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2011/08/29 2:24 PM |
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